徒然草のネット批判

徒然草は今のネット社会を暗に批判しているのです。読み解いていきましょう。


兼好法師作『徒然草』第五十六段

久しく隔たりて会ひたる人の、わが方にありつること、数々に残りなく語り続くるこそ、 あいなけれ。隔てなく慣れぬる人も、ほど経て見るは、恥づかしからぬかは。
しばらく会ってもいない友人であってもfacebookで自分の身にあったことをアップロードする。「久しぶり」さえも言わない。

次さまの人は、あからさまに立ち出でても、今日ありつることとて、息も継ぎあへず語り興ずるぞかし。
ちょっと外で何かあったらすぐスマホを取り出してtwitterfacebook・ブログに投稿する。事故やデモでもあれば許可ももらわずに写真を撮りまくってアップロードする。
よき人の物語するは、人あまたあれど、一人に向きて言ふを、おのづから人も聞くにこそあれ。よからぬ人は、たれともなく、あまたの中にうち出でて、見ることのやうに語りなせば、みな同じく笑ひののしる、いとらうがはし。
誰に話すでもなくtwitterでつぶやいたらみんな騒いでファボしてRTして拡散する。TLがガヤガヤうるさい。

をかしきことを言ひてもいたく興ぜぬと、興なきことを言ひてもよく笑ふにぞ、品のほど計られぬべき。
高度なユーモアをつぶやいても誰も反応しないくせに、面白くもないことに「wwwwww」とか「(笑)」とか「(爆笑)」とかやたらと付けまくる。

人のみざまのよしあし、才ある人はそのことなど定め合へるに、おのが身をひきかけて言ひ出でたる、いとわびし。
やれAKBは整形だブスだ俺の彼女のほうがましだとか、あのインテリ気取り、俺でもわかったクイズわからなかったとか、人を叩いて満足をするのは趣味が悪い。


おお!まさにネット批判ですね。さすが兼好法師、先見の明があったものです。というか、それだけ昔から人は変わっていないということなのかもしれません。