擬機械化

人間を「擬機械化」する時代になって、怖いと思う。

「うわ、なんか思考がバグった」とか、
「自分のスペックが低くて辛い(>_<)」とか、
「暗記量が多すぎて脳内メモリが限界」とか、
「記憶が上書きされてしまった」とか、
「この問題の計算量おかしい」とか、
「彼はデフォルトで元気だ」とか、
「偏った考え方をアンインストールしたい」とか、
「人間には死がプログラムされている」とか。

機械が人間に近づくことを夢見ていたはずが、いつの間にか人間が機械であるかのように考えてしまっている。怖いことだ。
人間は自ら道具を作り、そして道具に動かされてしまう。文字を得て記憶力を失う。調理を得て咀嚼能力を失う。時計を得て時間に追われる。冷暖房を得て体温の調節力を失う。検索エンジンを得て知識を覚えない。
世界はずっと平和になった。コミュニケーションの手段は広がった。この孤独感は何なのだろう。
すべては絡み合う。人間は分割して考えるが、世界はそう分割できない。人間が世界をよりよくしようとする限り、世界には新たな問題が生じる。後戻りはできない。
世界はこれからどう変わるのだろう。僕が生まれてから、携帯電話が広まり、コンピューターが広まり、GUIが広まり、オブジェクト指向が広まり、インターネットが広まり、タブレットが広まり、スマートフォンが広がった。僕は20世紀と21世紀の狭間を見た。そして僕はディジタルネイティヴと呼ばれる世代に属することとなった。一年先がどうなっているかわからないという諦め。そして現在をひたすら楽しもうとする無謀さ。

それでも、僕はこの時代が好きだ。

これは私の気に入った。

「気に入る」という言葉について最近知ったこと。
僕は「気に入る」を「私はこれを気に入った。」のように他動詞として使うのしか見たことがなかったし、これが自然だと信じていた。
R・ブローティガン「西瓜糖の日々」の藤本和子訳を読んだところ、次のような表現があった。

アイデスでは、どこか脆いような、微妙な感じの平衡が保たれている。それはわたしたちの気に入っている。

「これは私の気に入った」という形の表現が出てきたのだ。「気に入っている」が出てきた箇所は何か所かあったが、すべてこの形だった。
どうやら「これは私の気に入った」の形が本来であって、「私はこれを気に入った」は最近の用法らしい。ただ僕はこの表現を「西瓜糖の日々」で初めて見たので、「気に入る」の他動詞化はかなり進んでいるようだ。
明鏡国語辞典を見るとこんなことが書いてあった。

◆気に入る
好みに合う。「私の気に入っている服」
▽五段動詞としての一語化が進んでいる。
[語法]
「彼のことが気に入る/彼のことを気に入る」では、前者が伝統的。近年は「〜を気に入る」も多い。「〜が好き/〜を好き」と並行的。

だから本来「気に入る」というのは誰かの「気」に「入る」ということがもっと意識されていたのだと思う。
「これは私の口に合う。」とかそういう感じの表現だったのだろうと思う。

ところで「気に入る」の尊敬語の「お気に召す」ではまだ本来の形が残っている気がする。

この料理、あなたのお気に召しましたか?

みたいな表現は割とよく聞く気がする。尊敬語は使われる機会が少ないので一語化がそこまで進まなかったのだと思う。ただ「あなたはお気に召しましたか?」という表現も聞く。
ちなみにGoogleで検索すると

"わたしは気に入りました" 約 68,300 件
"わたしの気に入りました" 約 3,890 件
"あなたのお気に召しました" 約 9,970 件
"あなたはお気に召しました" 1件

とはっきり違いが出た。やっぱり、「気に入る」は他動詞の形、「お気に召す」は本来の形が好んで使われるようだ。

ところで「気にする」は他動詞の形のみが使われ、「気に掛かる」「気に障る」「気に食わない」は「気に入る」と同様二種類の形が使われる。要は「気に+他動詞」か「気に+自動詞」かの問題である。(これに当てはまらないものもある。「気になる」は「これが私は気になる(×私の気になる)」という風に使う。)
「気に入る」の他動詞化の一因に、「入る(いる)」という言葉が現代語で自動詞として使われなくなったことがあるような気がする。
真相が気になる。

英国研修に関する英詩

Like a British shower,
It suddenly began, suddenly ended;
Was it a dream for an hour?
Did I sleep just like a kid?

Like a colourful rainbow,
My heart is shining;
And a rainbow will disappear.
But rain allows me to grow;
I shall be never whining;
I shall speak without fear.

Discovery Summer,
Days in Winchester!
What I have got,
Is simply a lot;
I shall never forget
People I met,
And time I did spend
With my best friends.

英国研修感想文

イギリスのにわか雨のように、心の準備の出来ていないままそれは始まり、ふと気付くとそれは終わっていた。虹のように僕の心はきらめいているが、虹はいつしか消えてゆく。しかし雨は僕を確実に成長させてくれた――そう、英国研修は僕を変えてくれた。
もっと外国人とコミュニケーションを取ればよかったとか、もっとイギリスのことを勉強していけばよかったとか、後悔を挙げれば尽きない。英語はそれほど困らなかったが、聞き取れなかったり単語を知らなかったりすることはままあった。ウィンチェスターでの毎日はもどかしいものだった。楽しいアクティヴィティーや馬鹿騒ぎもあったが孤独を感じることもあった。知らない人に話しかけるのは苦手だし、自慢できる芸があるわけでもなかった。
それでも数人とは仲良くなった。会話はとても楽しかった。文化や価値観の違いを知った。
授業はウェブデザイン、英国文化、哲学、ディベートを取った。少し難しいものもあったが、どれも面白かった。ただ自分から積極的に参加しなければならないのは感じた。
観光も出来た。英国の味も味わえた。英国の風邪も引けた。英国の劇も観られた。五輪も観られた。
気付けば最終日。一週間ごとに授業やアクティヴィティーで素晴らしい功績を残した人は金賞・銀賞・銅賞をもらえる。その日、僕は銀賞をもらった。夢にも見なかった。涙が出そうなくらい嬉しかった。
その夜はディスコだった。汗だくになって踊りまくった。Discovery Summer――これがウィンチェスターでの研修の名前だ。僕は今、こう感じている――Disco, Very Summer――ディスコはまさに夏だ。焼けるような夏だ。もう二度と帰って来ない、夏......
二週間はあっという間に思い出になった。空は青々と晴れている。遠く東で夕立が僕を待ち構えている。あの蒸し暑さが待っている。しかし世界の事をもっと知りたい。もっとたくさんの人に会いたい。そのためには英語を上達させねばならない。七色の虹がスタートラインを飾っている。虹が消える前に、僕は走り出す。

徒然草のネット批判

徒然草は今のネット社会を暗に批判しているのです。読み解いていきましょう。


兼好法師作『徒然草』第五十六段

久しく隔たりて会ひたる人の、わが方にありつること、数々に残りなく語り続くるこそ、 あいなけれ。隔てなく慣れぬる人も、ほど経て見るは、恥づかしからぬかは。
しばらく会ってもいない友人であってもfacebookで自分の身にあったことをアップロードする。「久しぶり」さえも言わない。

次さまの人は、あからさまに立ち出でても、今日ありつることとて、息も継ぎあへず語り興ずるぞかし。
ちょっと外で何かあったらすぐスマホを取り出してtwitterfacebook・ブログに投稿する。事故やデモでもあれば許可ももらわずに写真を撮りまくってアップロードする。 続きを読む

「全然大丈夫」は正しいのか?

この問題は、NHKで少し前に放送していた「みんなでニホンGO」という番組でも取り上げられていた。この番組よかったな〜。NHKの先進的な日本語研究の成果が出てた。その番組で言っていたことも参考に書いてるのでご容赦ください。

さて、僕は「全然大丈夫」は全然問題ない表現だと思う。
「全然大丈夫」とか「全然平気」ってすごく自然で、全然違和感ないし、むしろ他の言葉で言い換えがきかない。「全然」の微妙なニュアンスがあって、それが「全然大丈夫」っていう表現にあらわれている。

「全然」は単純に「まるっきり」とか「あますところなく」という意味で、戦前は普通に「全然+肯定」が使われていた。

一体生徒が―悪るいです〔出典: 坊っちゃん漱石)〕
母は―同意して〔出典: 何処へ(白鳥)〕

Yahoo辞書「全然」

その後、一部の作家と役所の意見によって、「全然+否定」が規範になったらしい。

ここで、「全然大丈夫」「全然平気」という表現は「まるっきり」とか「あますところなく」とかいう意味ではないと思う。「100%大丈夫」「100%平気」とか言うと、またニュアンスが違う。
辞書には「(話し言葉での俗な言い方)非常に。とても。」と書いている。でも、「非常に大丈夫(?)」「非常に平気(?)」という意味じゃないよね?そもそも日本語が不自然だし。

どういう状況で「全然大丈夫」って言われるか考えてみよう。「言葉を見る」ときは例を見て、いくつも作文してみて、自分で味わってみる、というのが王道です。これをせずに理論上の言葉の正しさを追求してもしょうがない。
(例1)
 母「なんか顔色悪いけど体調悪いんじゃないの?ちゃんと早寝早起きしないと。」
 子「いやいや、全然大丈夫。気にしないで。」
(例2)
 「食堂の料理まずいかな、と思っていたけど全然大丈夫だった。いやむしろ旨い。」
「全然ダメ」の例も挙げます。
(例3)
 「試合であいつに勝てるかな、と思ったけど、全然ダメだった。実力不足だった。」
こんな感じだよね。
だから、僕は「全然」っていうのは「相手もしくは自分の推測に反して」というニュアンスが含まれているんだと思う。「母の不安」とか「自分の不安」とか「自分の期待」とかそういうものに反して、というニュアンスがある。これは「全然」という言葉の持つ強いイメージが影響しているんだろう。
「相手もしくは自分の推測に反して」。これが今僕が一番納得している定義です。みなさんはどう思いますか?納得してくれると信じています。


「全然」は日本語が変遷する過程でこういう微妙なニュアンスを得てきたようだ。
だから、「全然大丈夫」は、「全然大丈夫」だと思います!

Visual Studioでコマンドプロンプトからビルド

まあここを見て。
Visual Studio .NET 2003をコマンドプロンプトから操作してビルド
Visual Studio 2010 でもできました!!!
こんな.batを作ると便利かも

cmd /k cd C:\Program Files (x86)\Microsoft Visual Studio 10.0\Common7\IDE

追記
こんな.batつくるぐらいならPATHを通そう。
今更PATHの意味を知ったww